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あらためてテレビはもうだめだなんて、今更言っても仕方がないし、テレビ局のエライさんがそんな意見に耳を傾けるとも思われないのですが、食事時、ニュースみながら観ている時もあって、チャンネル回していたら全局、1、4、6、8、10のテレビ番組に吉本の芸人さんたちが出ているのをみて、NHKよお前もかって、いまさらですが言いたくなった。

お笑いは私は嫌いではないです、子どもの時から演芸場に連れて行ってもらい、大好きだといってもいい、けれども毎日毎日幾つものお笑い番組バラエティがあるのは異常ではなかろうか、と考えてみると、つけっぱなしテレビ自体が日常のバックグランドミュージック的存在になっていることに気づきました。

そこでエンタメ番組やニュース中に流れる音楽のこと。10秒から30秒くらいの、添え物、かざり、盛り上げのための音楽。それはもうすごくて。
ベートーベンの第九からベルディのレクイエム、カルミナ・ブラーナ、マーラーの交響曲1番、クラシックだけではなくて世界の宗教音楽、ジャズ、ロック、ポップス、民族音楽、音の素材集から、著作権切れのこともあってか、もう見境ない使われ方。おさわり部分だけをまるで調味料のふりかけみたいに使っています。

作曲の時代的な背景、作曲者のインスピレーション、その人生、その想い、曲の全体像、そんなもののありようさえ単なる素材として置かれています。そこから一体だれがどのような恩恵を受け取れるというのか、ね。この余りにも安易な音楽への商業的利用。

別に高尚な音楽が一番だとか、そんなことは全くありません。けれどもこんなに無感覚に音楽を垂れ流していると音楽への冒涜というよりも、音を聴く感性が壊れてしまうのではないだろうかって本当に心配します。
音楽が単なる素材の断片として扱われ、古典も民族音楽もAKBも同じ等価値の素材という役割に組み込まれてしまう、なんともったいないことではありませんか。

容器に入れられた泥水の、きれいに澄んで浮かび上がる上澄みの透明な水を見る感受性が失われ、底に積もった泥だけしか見えなくなってしまう、そうなってしまったらもう悲しいことです。
音楽という最高の、言語や国境や宗教の差異さえも飛び越える美を手に入れることができなくなってしまうのではないかと恐れます。

自然の音、川のせせらぎ、風のささやき、草木のそよぎ、そうした音の美しさに気づくためにも、音楽を聴くことは大切、そして楽しいこと、その感受があってこそあらためて自然の音の豊穣さを発見できる。
テレビという異常な世界の劣化、傲慢さにほとほと呆れ、私のような愚か者ではなく、どこかの偉い音楽家とか、世界的なミュージシャンとか、だれかテレビ局の経営者に本気で喧嘩売ってほしいなって、強く思います。

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Andrei Tarkovsky Stalker music overdub


タルコフスキーの、SF映画のフォーマットを借りての不可思議な映画、ストーカー。難解だけど雨や水や火、水たまりにゆらぐゴミやジャンクの、喩えようもない美しさにひかれます。
背景の音楽はエドワルド・アルテミエフという人のシンセミュージック。静謐な美しさのなかに人間への慈しみが響いてきます。
2013.05.05 Sun l タキシード猫クロコ・プリンセス l コメント (0) トラックバック (0) l top


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