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三十五歳を過ぎた頃か、天六の「杉の子スイミングスクール」っていう教室に、友達数人といっていたのですが、いつのまにか別れ別れ、途切れてしまいました。

あの頃は、振り返ればいつもそうだったけど、いろんな出来事に押しつぶされそうになって、ふうふう言いながら日々、仕事の自信も何処かへ消え去り、ただただぼんやり、情けなく生きていました。
身から出たサビではあるのですが孤独感に打ちひしがれて、もうぼろぼろ。

でも何年かしてまた泳ぎたくなり、思い切ってその近辺の真新しいスイミングに一人でいくようになりました。四十になろうとする頃、人生で最もしんどい時代でした。その、天神橋5丁目にあるスイミングスクールにはじめていった帰りの時のことを思いだしました。

仕事を終え、ネクタイ緩めながら行って泳いで、ようやく着替えて、その帰り道のこと、九時か十時、フラフラになって商店街を天満の環状線に向かってトボトボ歩いていました。
久しぶりの運動の疲れのせいで、足は震え、歩くのがやっと、幽霊みたいな、頭が疲れで真っ白、思考能力ゼロの気分で、夜風にあたりながら歩いていた時のことでした。

ほんの一瞬、ココロが抜け落ちたように感じたのです。
心が消えたのです。
世界を感覚だけでとらえたような気分。
それは数秒のようでもあり十数分のようでもある時間感覚でした。

ずっとあとから道元の「身心脱落」っていう言葉が浮かびました。
道元の「脱落」の意味がすっと体を通りぬけました。
あ、これかも、わかった。そう感じたのです。

こんなことは私のいままでの体験でも一度あっただけでした。
ニューサイエンスならランナーズ・ハイとか、エンドルフィン効果だとか、神秘思想なら脱我(エクスタシー)とか呼ばれるものかもしれません。
けれども釈迦の教えが、禅が目指すものが、ぼんやりと理解できたような気分になったのです。ドラッグを使わない神秘体験。

あんな瞬間をもう一度味わってみたいとも思うけれども、一方で、いや一度の体験だけでもういいよ、という気もします。なぜならあの感じを体験するためにはもっとしんどい状況に身をおくということですから、いまはもう、安心が一番大切。

※身心脱落 (しんじんだつらく) <正法眼蔵> 
この言葉は道元が留学僧として宋で修行していたとき、師の如浄が「心塵脱落」と説かれていたものを道元は自らの悟りの体験から「身心脱落」と表現を変えました。単に心の煩悩だけでなく身体さえも解脱しなければという意味かと。

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芸能山城組


ここで使われているのはバリ島のガムラン、ジェゴグという大きな竹の楽器です。響き渡る低音がたまらない魅力。
ゆっくりと早まっていく高揚感に加速度をうながしていくリズムが素晴らしい。山城組はアキラの音楽も良かったし、合唱の刈干切唄もすごかった。YouTubeかネットで探してみてください。
2013.06.16 Sun l 考えるお話 l コメント (0) トラックバック (0) l top


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