FC2ブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top


P1010419.jpg

どんな小さな絵にしろ短い文章や書道や、その他モノづくり、音楽、建築物も含めて、なにか意匠を考えて作る時、表現における「未完」と「完成」の境い目はどこにあるのでしょう。

これでよし、と納得できた時点、それとも、もうこれ以上触るところはなしと、感じた地点でしょうか。あるいは意識的に途中でとめてしまうことで『余白」のようなものを表したい時?。
よくわからないけれど、完成と未完というのは創作にとって大事な関係のように思えます。

よく名人とか達人と言われる人たちは、これでよし、といえるようなものはありません、死ぬまで努力です、なんて気障なことをいわれますが、自身が納得することと見る人が納得することには、きっと隔たりがあってそれが作品の風通しを良くしているような気もします。

出来てしまった、世に出した以上、それは見る人々のためのものになると思えます。何かを作る以上、ここまで、ここで終わり、と判断しなくてはならない時があるのでしょう。どこでやめるか。
制作という仕事における、これで完成という瞬間、その判断こそが作家の個性といわれるものかもしれません。

それにしても未完と言われる作品は圧倒的に魅力的なものがたくさんあります。死によって途切れてしまったのも含めて、カフカやドストエフスキーの未完の作品、ダヴィンチの絵はほとんど未完らしいし、バッハのフーガの技法、モーツアルトのレクイエム、ガウディ、ゴーギャン、未完であるからこそ、強く輝く磁力を、いまだに放出しているのでしょう。

ここでまた「余白」というテーマが出てきそうです。
思い出したのがセザンヌの絵を観た時のこと。キャンバスの余白ということについてなにか書きたくなりました。

P1010418.jpg
P1010453.jpg

ブルガリアン・ボイス


バブルの頃か、よく流行りました。最初は4AD(コクトーツインとかディスモータルコイルとか)っていうロックのレーベルから出ていたと思うのですが、広告屋がCMに使用して一挙に話題に。
十人に満たない人数でこの素晴らしさ。何処か異次元から響いてくる魔女たちの歌声のようで魅了されました。たくさんCD出ていますがやっぱり最初期のこの音盤がお勧めです。

4AD.jpg
2013.06.23 Sun l タキシード猫クロコ・プリンセス l コメント (0) トラックバック (0) l top


コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://kuroko0922.blog54.fc2.com/tb.php/569-a56c6e41
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。