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カストリ1

私が小学生の頃、街の古本屋さんにはまだカストリ雑誌の雰囲気を残したヌード雑誌というか、エロティック本が置いてあった。といってもせいぜいが水着ほどの露出です。

誰がそれを買いに行くのか、友人たちとジャンケンで負けた私が小銭を握りしめていくのだが、だいたいそういう本屋にはおばちゃんが留守番していて、これがおっかない。
さて、と思案して、安い漫画本を二冊上下に、お目当てを真ん中にはさんで金額だけが見えるようにして差し出す、確か一度は成功したけれど二度目がいけなかった。さっと三冊広げられて思い切り睨まれた、けれども、子供の時が一番おとこらしかったね私は、とぼけてよそ見をして決して目を合わさないようにお金払って逃げるように持ち帰りました。

後は悪ガキ四人で回し読み、その内容は今のAVなどというものよりはるかに高貴でエレガントで美しい写真がたくさんありました。昭和のお姉さんの優しいエロチシズム。
この頃のガキはとてもませていてオナニー覚えた子がみんなの前で実演してみせるのです、あれってなんだったんだろう。仲間へのサービス精神?それともパイオニア気分かしら。

私が自慰を覚えたのは小学6年生、大晦日、一人で留守番、こたつに寝そべって大人の雑誌を眺めていたら下半身が熱くなり、自然と両手が伸びた。ムズムズした気持ちよさと同時に白湯のような液体がとんだ。
それは精子とは違ってお水みたいで独特の甘い匂いはこの時限りだった。クリの花の匂いではなかった。あ、これがオナニーなんだと、少し今までと違った自分になった気分がした。

中学生になって、一匹狼みたいな、つまりクラスのみんなから避けられていた男子が、ちょっとワルだったから、えーもん見せたろかといって私を廊下の端っこに連れて行き、学生証に挟んであったエロ写真を見せた。
エロといっても合体部分のアップで一見何が写っているのかわからない、ひょっとしたら動物のものかもしれないそれを、ニヤッと笑いながら宝物のように仕舞いこんだ。後でみんなに聞いてみるとほとんどの男子に見せていたらしい。きっとみんなと仲間になりたかったんだ。その子はどこか危うげで寂しそうだった。

二十代、仕事仲間で古い8ミリのブルーフィルムが借りられたと友達。風俗文化研究会と称し、映写機担いで上映会、一人暮らしの私のアパートにゴロツキ暇人たち十人近く集まった。
いよいよ白いふすまをスクリーンに、映写機回しているとなんだか焦げ臭い、いきなりフィルムに火が着いて大騒ぎ、何度も試みたけれど、ダメ。きっと映写機の光源が、電球ワットがあっていなかったんだね。
燃え残りのフィルム、二十コマほど記念に貰ったはずなんだけど何処にいったのかしらね。
目を凝らしてふすまに映る豊潤な女体に見とれていたらいきなり燃え出すんだから、ちょっと異常な、でも美しくも儚い映像体験でした。

ブルーフィルムって映りも悪いしモノクロだし、いかにも安っぽいと思われがちなんだけど、記憶の残像に映るフィルムの女性たちは皆、儚くも物悲しく、伏し目がちで遠くを見る視線がとてもエロティック。白い肌がまぶしかった。
今思い出すと初期のアラーキーの写真に似てるよね。アラーキーはいまや芸術だけどブルーフィルムは卑猥だなって、そんなことないよ、それはそれは美しいものでした。

この頃、大好きな日本映画はにっかつロマンポルノです。といってもこれはエッチな映画を観るためではありません。そのためなら独立プロたちのピンク映画を観に行ってました。
ピンク映画でもびっくりするような刺激的な作品によく出会いました。
若松孝二、足立正生らがバンバン、傑作、問題作を作ってました。革命とかテロリズムとか。十代の頃は八重洲のピンク映画館、早稲田のチンチン電車に乗ってよく観に行きました。

ロマンポルノはなんといっても映画自体が傑作ばかりだった。神代辰巳、曽根中生、田中登、小沼勝、異才揃いで映像も脚本もすごかった、テーマも新鮮だった。

そういえば藤田敏八、村川透、根岸吉太郎、森田芳光、相米慎二らもここから出たのですね。タイトルが猥褻なのに映画は純愛や青春モノだとか、文芸っぽいものとか。同じ頃の東映のエロ・グロ・ナンセンスはつまらないものが多かったけれど、日活ポルノは優れた青春映画ばかりだった。

根岸吉太郎のロマンポルノデビュー作「女生徒」は今でもよく憶えている。みずみずしい少女映画。
これって太宰の女生徒に触発されたのかな、違うよね。
ロマンポルノは小さなシネマ館で特集組んで今でもちょこちょこ上映されているようです。どれもお薦め、私は神代辰巳に惚れてました、田中登の「マル秘色情メス市場」には胸が高鳴るほど感動した。

私の三十代はアダルトビデオ。友人がビデオ再生機買ったら裏ビデオ貸してあげるぞとぬかしたので、一番安いのを買ってきた。いやはや、私は裏より表がいいです。
なんというか、男のPも女性のVも、あれは生命の設計者が人間や動物たちの子孫繁栄のために、機能優先で作り上げたものだから明るい所で見るものではないのです。
部屋を暗くして恋人同士が互いに優しく愛撫するのが正しい。

最近のAVのつまらなさは、即物的すぎる、からだと思います。普通の人が一生かかって体験するだろう性のカタチを、たった一時間ほどのなかに全て見せてしまおうとするものだから、身も蓋もなく、早送りで観せられたような味気の無さ。
男が何を求めてアダルトを見るかというと、女性が陶酔している表情がみたいから。もちろんおっぱいやおしりの美しさもあるでしょうけれど。
好きな人を喜ばしてあげたい、この手で抱きしめてあげたい、その表情を眼で確かめたい、たとえ妄想でもそう願っているのです、多分。

局部や行為の描写ばかりを映しても何の映像的快楽もない。レイプものはもってのほか、萎えるだけ。女性の美しい表情を見せてくれなければAVなど価値はないのです。女性が性の営みをするエクスタシーの彼女らしさ、可愛らしさを引き出すことがAVの大事な役割。
フォーマットは恋する二人が楽しそうに励んでいる、それが一番自然。

アダルトビデオのおっさん監督たちは阿呆なのか、それがわかってない、たとえAVでもせっかく映像作品を作るのに、どうしてもっと映画的手法、カメラワークを駆使しないのかなって、もったいない。
女性を魅力的に撮る方法なんていくらでも勉強できる。制作者たちはもっと映画を愛し、そこから学ぼうね。

基本的に映像で他者の行為を観るということは「覗き見」です。どれだけキレイ事を言おうと、それはのぞきです、不毛なものなのです。
セックスの行為自体は二人にとってそんなに快楽的でもなく興奮するものではないと思います。ごく自然な行い。やわらかな充足感。それを他者が覗き見るから猥褻という観念が生まれるのです。
けれどもそれが男性の性的快楽の一部に大昔からおさまってきたのは、男は古代から妄想の生き物だからです。そういうものなのでしょう。

アストリ2
カストリ3
アストリ4
カストリ5
アストリ6
※カストリ雑誌の写真はネットから勝手にお借りしました。すみません。問題ありましたらすぐに削除します。


ジュ・テーム


ラジオからこの曲が流れてきた時、え、こんなの聴いていいのかな、いつか放送禁止になりそうだって。一人ぼっちには刺激が強すぎたね。
美人のジェーン・バーキンは他にもこんな曲があったらって探したけれどなかった。セルジュ・ゲンスブールはもてない二十代の私にとって許せない中年のおっさんになった。
2013.07.23 Tue l 映画のお話 l コメント (0) トラックバック (0) l top


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