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メメント・モリじゃないけれど、死っていうのは生の字と重なって初めて生死(生の最後の横棒と死の最初の横棒はきれいに重なるね)っていうぐらいだから生と死は切っても切れない仲良し、やっぱ生きてる間に死っていうことも、たまには面白おかしく考えてみるのもいいかなって「愛のさざなみ」でもハミングしながらバカ話を。

で、お釈迦さんのお話での死っていうのは四苦八苦(しくはっくしちゃったの四苦)の四苦のなかに「死苦」というのがあって、つまり死ぬ苦しみのことらしい。

■死ぬ不幸
ホントは生まれちゃったんだから死ぬのはあたりまえ、という訳にはいかないのが人間で、そこはあきらめがつかないもんですね。わかっちゃいるけどあきらめられない。

それでその解決法なんだけど、例えばお釈迦さんは具体的にこうすればって言ってないのです。どうも曖昧にしているふしがある。なにしろ死後の世界について弟子から聞かれても、弓矢が刺さった人に死後がどうのとか言う前に治療をしなくちゃナンないでしょう。としか言わない。おまけにお葬式とかお墓とか、そんなもんに意味はありゃせんとまでいったらしい。

じゃ何を勧めたかというと瞑想一点張り。自分の本体を知るために内面に降りていきなさいっていうことか。ここから禅が始まったんでしょうね。
つまり生きながら一度、彼岸という生の向こう岸(死)に行って、また帰ってきたら、もう死なんて怖くないよ、と言ったと、私なりに勝手に解釈しておりまする。そのための瞑想。
そのためのおまじないが羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。

死ぬ不幸だなんて世の中って全人類、全生物が完璧に100%ゆっくり死んじゃう世界なんだから、もうそういうもんだと受け入れるしか無いのは小学生でもわかると思うんだけど。
第一、まだ十代の若者や赤ん坊までいろんな病気、犯罪、事故で死んでいってるんだから、その不条理さを思えばヘラヘラ生きてきた自分が死ぬなんて生きてきてごめんなさい、っていうくらい。
長生きして死ぬというのは現世の苦しみから開放されるということだけはとりあえず真実だから、やっぱりそんなに不幸なことじゃないでしょう。

■死なない不幸
こんなに長生きできる時代になると、もう体も心も金属疲労、賞味期限切れでも世の中なかなか死なせてくれないです。
お年寄りは健康や病院、治療話、そんな話題が大好きで互いに長生きしましょうと張り切ってるけれど、動けない病気になったりアルツになっても生きている悲しさを考えたりしたらこっちのほうが辛い、いまや死ぬことが苦しみではなく死ねないことが苦となってしまった。長寿願望もほどほどにしなくちゃね。

医療という経済システム、製薬会社や病院やクリニックががっちりとスクラム組んで人の生死をつかまえて離さなないもんだから世間は簡単に諦めてくれない。
病人は諦めているのに病院が諦めてくれないってなんだか可笑しいね。胃ろうまでして生かしてくれる、余計なお世話。アルツハイマーになってでも生きとけっていうわけ。病院丸儲け。
こうしてみると死んでいく不幸より死ねない不幸のほうがずっと辛いよねっていうお話になっちゃったのが現代の社会、みたいだね。

■死ねない不幸
あんまり辛いから、カラダが言うことを聞かないから、ボケるのいやだからっていう理由で死にたいと思えば、方法は自殺しかないのでしょう。
喫煙や過度の飲酒やドラッグは緩慢な自殺、死への無意識なあこがれ。
ところがイザひとおもいにって言う時には死ねないもんで、なんといっても痛い、怖い、後始末に困る、という理由でやっぱり大変だと思います。

ピストルでこめかみに一発っていうのはお洒落だけれど、やっぱり死体が残ってしまう。それなら火葬場の真ん前で死ねばって思うけど、これも事後処理のいろんな手続きがあるそうです。もうややこしくてめんどいね。
野垂れ死にだってどこかに迷惑かけそう。人知れず森の中で朽ちていくとか、そこまで出かけるの面倒だけど。

それに自殺って無神論者の私でも死んでから誰かに叱られるんじゃないかって、ちょっと勇気がいるのです。奥様にもすまないし迷惑かけるし。イナガキタルホは目覚めが悪いからよしなさいといった。生には死んでもまだ続きがあってそんな簡単に魂は消滅しないといってました。

そこで最近、社会的に不要、もうどうでもいいと政治家からも思われている老人たちの医療費がどうのとか、自民党のバカガキどもが偉そうに遠回しに「はよ、死ね」っていってるみたいなので私は国家・自治体による早期臨終制度を作ったらどうかと思いました。

自分で、もはやこれまで、と納得した人は政府や自治体に申し込んで安楽死手続きができたらいいねって。
使えるものは使ってもらって、例えば養老先生の解剖室に寄付とか、あ、養老先生もう大学辞めたんだった。動物実験の動物の代わりにイキイキした人間の出来たて遺体を使ってもらう。
無論葬儀費も無料、一番簡単な死後処理なら残された遺族に奨励金が出るとか、ね。

これならケチな政府も扱いに困っている家族も死ねない不幸に悩むお年寄りも納得するかも。
自治体もたくさん志願者を集めたら国から表彰されたり、全国トップの首長には表彰状なんてのもいいかも。歴史に名を残してあげるよって。政治家さん、これ皮肉だよって、気がつくかな、あの人ら。

なんとも不謹慎なお話ですいません。
でも本当はもっと不条理なことが世の中行われてるんだろうと思います。

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島倉千代子 - 愛のさざなみ -


演歌でもなくニューミュージックでもなくフォークソングでもなく、歌謡曲、昭和の抒情歌謡という音楽があって、なんでこんなに心うたれるかというと、やっぱり歌詞とメロディが互いに交感しあって、さまざまな感情という映像を聴く人の心のなかに浮かび上がらせてくれるからだと思います。
例えば林静一の最初期の作品には歌謡曲の歌詞が絵と相まって歌魂というか凄い世界を表現していました。いきなりドーンとコマが歌い、絵が鳴ってくるのです。
2013.08.08 Thu l 考えるお話 l コメント (0) トラックバック (0) l top


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